小学生の頃は野球
もともと音楽を聴くのは大好きでした。自分が10代になりかけの頃は,母親がエレクトーンで何かを弾いていたのは覚えています。後で振り返ると、ほとんどがカーペンターズの曲だったように思えます。
しかし、母親は私にピアノやエレクトーンをならうように勧めたこともなく、私も自ら習いたいとは言いませんでした。むしろ、昭和らしいのですが、男は外に出て野球などスポーツをすることを、勧められていました。
中学生の頃は野球と洋楽
10代前半は中学で予定通り野球部に入部しましたが、世の中は80年代洋楽が全盛期で、ラジカセでエアチェックをして、好きな曲をカセットテープに録音しまくっていました。大好きなアーティストはたくさんあり過ぎて、エイジア、ジェネシス、メンアットワーク、リックスプリングフィールド、ジャーニー、クワイエット・ライオット、フィクス…数え上げたらキリがありませんでした。まだCDが出る前の時代でした。
ピアノ協奏曲に目覚めるも…
20代になるとクラシックに目覚め、CDを買いあさりました。心の癒しを求めて、バイト代でミニコンポを借金してまで買い、臨場感ある環境でクラシックを楽しんでいました。 特にチャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲が、とても大好きでした。このように、いつも身近に音楽があり、自分で弾いてみようと決心すれば良かったのですが、46才になる2015年まで、結果してチャンスを逃してしまいました。
20代半ばで結婚し,幸い5人の子供を持つようになりましたが、そのうち3人がピアノを習うことになりました。30代は子供たちの成長を見るのと仕事でそれ以上は生活に余地はありませんでした。奥さんにはだいぶ負担をかけたと今でも償いたい気持ちです。
タイミング
そうしているうちに、自分自身は40代後半になってしまい、語学やダイエットでもやらなきゃと思う日々が過ぎていきました。
そして昨年、2015年の夏、ピアノを習っていたうちの一人である三女が、音楽の道に進むことを決意しました。なんとか父親としてできることはないかと考えたどりついた結論が、ピアノ未経験な私でも、頑張れば1曲は弾けるということを証明し、それが音楽の道を歩む上で、三女の励みになってほしいということでした。
世の中にとっては、些細なことかもしれませんが、音楽の才能すらほぼ無いに等しい私のチャレンジをみて、いつか、三女がぶちあたるかもしれない壁に立ち向かう時に、私の年齢でも、あきらめなければ、何かしらの結果が出たのを思い出してほしいと考えました。
また、それとは別の話で安息日の大切さを思い起こすように勧められていたこともあり、自分は音楽を通して安息日を充実させたい思いがあったので、その思いとの相乗効果で、ついに昨年2015年夏にピアノを始める決心をしました。
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